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ようこそ「the beginning of new life」へ。
(End of seeking から改名しました)

これからご紹介していく一連の動画は、私たち人間の、もうひとつの現実の存在を明らかにするものです。

それは、あらゆる探求の終わりを意味します。

真理はすでにいま明白であり、何千年も前の文献に頼らずとも、いまの言葉で、いまの人たちに分かち合うことができます。

大和田菜穂さんの出現は、仏教の伝統そのものを根本的に問い直す機会になることでしょう。

その一歩一歩を随時皆さんに公開します。

どうぞご期待ください。

仏教界の中には、真理に生きることを宗とし、想像を絶する修業を経て、現在要職に就かれている高僧の方々もいます。

今回はそのような高僧たちとの対話を通して、見る側の我々が、真理を発見する手掛かりになればとの思いも込めました。

この動画シリーズは意図せずとも、揺るぎない伝統の根幹に立ち入っていくことになるので、

「大和田菜穂の変」

と名づけました(^^)

ご覧になりたい方は、会員登録をしてお待ちください。

一本ずつご案内していきます。

また大和田菜穂さんの今後の活動なども、いち早くご紹介していきますのでお楽しみに。



大和田菜穂さんという現象は、僕が人生で初めて出会ったものでした。

このような人が地上のどこかにいるはずだとの予感はありましたが、やっと出会うことができました。

しかも日本人なので、日本語でダイレクトに通じ合うことが出来ます。

完全にノンデュアリティ(非二元)の中に溶けた存在。

それがどういうことなのか、直に知る機会に恵まれたのです。


菜穂さんのことを語るのは、凄く難しいことです。

何故なら、彼女はいないからです。

そんなこと言っても、彼女の体はありますし、一見何も変わらない普通の人としての現れもあります。

「そこにいるじゃないか」と言いたくなります。

でも彼女はいないのです。

我々は通常、自分の中に自分という存在が住んでいると思っています。

その自分は、いろんなことを考え、いろんなことを選び、いろんな行動をします。

裏表もありますし、誰にも言っていない自分だけの考えもあります。

したがって、他人の中にも、自分とは違うその人としての何かが住んでいると考えます。

で、好きになったり、嫌いになったりするのです。


どうしても我々は、大和田菜穂さんの中に、菜穂さんをやっている何かがあると思ってしまいます。

ですから、彼女から非二元の話を聞けば、そのような境地を達成した優れた存在が、彼女の中にいるのだと思ってしまうのです。

そして、「どうやったら菜穂さんのようになれますか?」と尋ねます。

でもそれを達成した菜穂さんはいないのです。


あるいは、菜穂さんの中には真理を語る偽物が住んでいるという人もいます。

でも菜穂さんの中には、誰も住んでいません。

彼女の言葉も、彼女の行動のすべても全体の現れです。

お洒落を楽しむことも、軽い運動に興じることも、人前で話をすることも、すべてがそうです。

ただあるがままに、好みのままに生きています。

「好んでいる自分がいるじゃないか」

と言いたくなりますが、それをしている個人という存在が無いのです。

実際には、あなたの思考も、あなたの行動のすべても全体の現れなのですが、その話はまたおいおいしていきましょう。


ただひとつ言えることは、誰かが優れているわけでも、誰かが偉いわけでもないということです。


あなたを、この「探究の終わり」シリーズに歓迎します。

阿部敏郎   



このメッセージは、「もう一つの現実」「ピュアな現実」についての提案です。

すべては一つのエネルギーが形を変えて現れたものです。

本当は何一つ分離しているものはなく、あらゆる現象(出来事も感覚も思考もなにもかも)は、同じ一つの生命エネルギーの表れなのです。

実際はただ「全体」があるだけで、独立した個人というものも存在しません。

そして、時間というものも存在せず、あるのは無時間のエネルギーのみです。

また、何かをコントロールしている力もなく、一つひとつの現象はただ起きているだけです。

人間以外の全ては、ここで提案する「ピュアな現実」の存在です。

このノン・デュアリティ、非二元という視点は、実際のところ頭で「理解する」ものではないのでなかなか伝わりにくいのですが、人はどこかで「これ」を知っているのです。

自分が今まで自分だと信じてきた存在は、脳が作り出した自己意識と身体の感覚が「誰かが身体の中にいるような印象」を与えているだけで、実際には存在していません。

神経科学の世界でも主張されてきていることですが、自己意識(私)というのは、脳が作り出した幻想です。

つまり、今まで自分だと思っていた存在は、幻想の「私」だということです。

突然そんなふうに言われてもクエスチョンマークが浮かぶだけかもしれませんが、あらゆる人がそれぞれの生き方を通して潜在的に求めているのは、「全体」……すなわち分離の終わりであり、自己の不在です。

これまで自分として当たり前に生きてきたほとんどの人にとっては、まったくピンとこないことかもしれませんが……。

たとえば、美しい音楽を聴いたり、芸術に没頭しているとき、または激しいスポーツをしているときなどに、「自分がいない」ということがよく起こりますが、それは自己意識がない状態です。

こういったことに人々が魅かれるのは、それらに集中している間、自己意識が不在になり、「分離感が持っている何かが足りないという感じ」が一時的に消えてなくなるからです。

けれども、それはほんの短い間だけで、再び幻想の「私」(分離感)は戻ってきます。

人は結局、分離の感覚をごまかすための何かを手に入れようと、常に次の瞬間に向かっているのです。

そして、いつも心の根底では「このままでは十分ではない」という感覚を抱え続けます。

つまり、常にどこか居心地が悪く、今のままでは足りない、十分ではないと感じているから、次なる喜びに向かって歩き続けているのです。

世界中の人々が、そうとは知らずに唯一求めていることは、「足りない」という不満足な感覚の原因である、「分離の感覚の終わり」であり、

「探求の終わり」なのです。

これからお伝えするメッセージは、過激でまさに革命的でありますが、同時に、誰もがどこかで知っていることでもあります。

—— 「大和田菜穂 『すでに愛の中にある』(ナチュラルスピリット刊)」より



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